4月13日

病名がやっと分かった。

縦隔原発びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫

 

正式名が長すぎて覚えづらいので、簡単に言うと悪性リンパ腫

リンパ腫の癌の一種だった。

前から可能性のひとつとして上がっていたのでそんなに驚いたつもりはなかったけど、いざ決まった時は身体が冷え切っていた。私は本当に癌だったんだな...と。

 

父親が目を真っ赤にして堪えている姿に胸が痛んだ。

泣くのを我慢しながら鼻を啜る兄の嫁さんにも胸が痛んだ。

皆を悲しませてしまった自分がとても罪深い人間に思えた。

 

先生からは治療を頑張れば完治する可能性が高いと言われた。

これから長い戦いを頑張らないといけない。

 

正直追いついてない自分がいて、まだふわっとしている。

昨日から始まった薬が良く効いているのか、普通の人みたいに元気なのだ。

カラオケ行ったり、サウナ行ったり、オタク活動をしていた時のように。

 

私は癌患者だ。受け止めて戦わなければならない。

私の為に祈ってくれるみんなの為にも。

家族をこれ以上悲しませない為にも。

 

 

 

 

 

 

どんな辛いことがあっても私は神様と共にある。

神様が一緒であれば私の未来は勝利だけが待っている。

4月11日

病気を治すために治療によって妊孕性が低下すると言われた。

妊娠の可能性が低くなること。

卵子凍結を提案されたけど少なくとも2週間はかかる。治療を遅らせるのは現実的ではないと言われた。

 

ただ病気を治すことしか考えていなかった自分にとっては、どう受け止めればいいのかわからなかった。頭が真っ白になって初めて人前で泣いてしまった。

 

不思議だった。癌かもしれないと言われた時ですら泣かなかった。

子供がすごい好きなわけでもなく、結婚もできるかわからないと思っていた自分にも母性本能みたいなものがあったのだろうか。子供を欲しいと思ったことはないけど、いつか産むのかな・・・と漠然としていたぐらいだ。

 

女性の特権を失うから?

家族を作れなくなる?

将来自分はひとり?

 

色々考えても何に対する涙だったのか答えは出なかった。

もしかしたらいっぱいいっぱいだったのかもしれない。

心のバランスを保てなかったのかもしれない。

 

治療を優先する気持ちは変わらない。

いつか後悔する日が来るかもしれない。

でも生きてないと後悔することもできない。

 

私は母親にはなれないかもしれない。

その代わり人をたくさん愛せる女性になりたいと思った。

会社を辞めて1ヶ月 (3)

 4月8日。会社を辞めてちょうど1ヶ月。

私は病気で入院している。まさか自分が癌になるとは思ってもいなかった。

 

「30これからだ!人生これから!」

 

30歳の誕生日を迎えてから、良く同年代の同僚と言っていたことだ。

新しいスタートを切るために仕事も辞めて、のんびり休みを満喫して次のキャリア設計を考えていた。

 

しかし何もかも急にいろんなことが起こりすぎて、正直今でもCTに写っていた大きい腫瘍がただの、そういう写真なんじゃないかと疑ってしまう。身体の血が引いていくのを感じながらも、悩んでも仕方ない。泣いても、へこんでも、病気は治らない。もちろん怖くないと言ったら嘘だ。不安だってある。

 

弱気になった自分を晒すのは家族を苦しめることでしかない。

病は気から来るんでしょ? だったら私は絶対負けない。

親孝行だってしたい。まだやりたいことだってたくさんある。

辛い治療だって、また元気になれるなら乗り越えられる。

これは神様がくれた新しい試練なんだ。

 

「30これからだ!人生これから!」

 

私は癌になった。それが私の人生だ。

いつか振り返って笑いながら話せる時期が来るだろう。

「私は30歳の時ね〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はひとりではない。

いつも守ってくれる神様がいる。

いつも支えてくれる家族がいる。

いつも応援してくれる友人がいる。

私は人に恵まれてる。

だから私は負けない。

神様がいる天国へ行くには、私はまだ欲深い人間だからだ。

 

 

会社を辞めて1ヶ月(2)

4月8日 お昼頃

今日は両親と一緒に中間報告を聞きに病院にきた。

案内されたのは地下の科学医療室。初めてきた場所に緊張しながら先生に呼ばれるのを待っていた。簡単な記入を済ませて待つごと30分。血液内科の先生に通された。

 

「中間報告なのではっきりとは言えませんが、恐らく悪性リンパ腫の可能性が高いです。リンパ腫の癌の一種です。」

 

覚悟はしていた。

最悪な結果でも受け止めると自分に何度も言い聞かせた。

だから冷静にいられたのかもしれない。

でも母の涙には凄く胸が痛んだ。

 

 

「健康に産んであげられなくてごめんね。」

「いやいや、30年間元気だったじゃん。」

「本当にごめんね。」

 

 

私の手を握りしめながら震えて泣く母の背中をさすりながら、自分は親不孝だな・・と目頭が熱くなるのを感じた。

 

 

「治療でお金いっぱいかかるけどごめんね、パパ」

「そんなこと気にしなくていいから。治すことに専念しよう。」

 

 

父の目を見たら泣きそうだったから顔を見て言えなかったけど、いつもより優しい声だった気がする。

 

 

しかし、入院の手続きを待ってる間に急展開が起きた。もしかしたら違う病気かもしれないので、もっと大きい病院で見てもらった方がいい。紹介状を出すからすぐ向かって欲しいと言われた。正直よく分からないまま、築地の国立がん研究センターに行くことになった。

 

車で移動している時から身体は結構厳しかったと思う。呼吸の苦しさと頭と喉の圧迫感。座っているのもギリギリだった。でもここで倒れるわけにはいかない。せめて新しい病院について受付を済まして診察までには耐えないといけない。親にも心配かけたくない。ただの意地だった。

 

やっと診察受付まで済ませた後、看護師さんにお願いしてベッドで休ませてもらえることができた。そこから入院まではあっという間だったと思う。

 

 

会社を辞めて1ヶ月 ⑴

4年半勤めていた会社を3/8に退職した。

なかなか自分の時間が取れず疲れた身体に鞭を打ちながら働いていた毎日にさよならして、暫しの休暇を満喫していた。汚かった部屋を掃除したり、カラオケ行ったり、オタク現場行ったり、サウナ行ったり、外食行ったり、夜遅くまでゲームしてお昼まで寝るニート生活万歳!!!

 

しかし2週間も経つとこのままでいいのか不安になり、バイトでもした方がいいのでは・・・とそわそわしながらiMac27incを買っていた。今のiMacが古かったのでとりあえず武器を揃える必要があったのだ。でかい出費ではあったけどデザイナーにとっては必需品なので高くはないだろう。

よし!武器も揃ったのでバリバリ作業するぞ〜とデスクに向き合いたかったのだが、ここ最近身体の調子がイマイチなのが気になって通院を繰り返していた。

 

最初は右首から腕の痛みから始まり、職業病のコリかな?と思って痛み止めで様子見。しかしよくなること無く次は顔が1.5倍ぐらい浮腫んできたのだ。次第に胸は圧迫されて息苦しくなり、頭痛も酷くなった。まっすぐ寝ることが困難なぐらいに。夜中は咳が酷くて眠れない日もあった。

さすがに危機感を覚えて地元のクリニックに見てもらうことにした。症状を説明して胸のレントゲンを一枚取ることになった。私は本当に軽い気持ちで大人でもなる喘息みたいなものだと思っていた。だから、レントゲンに映っていた胸に溜まっている水を見てびっくりした。クリニックの先生も大きい病院を紹介するから早く行った方がいいと急いでくれて家族にも連絡してそのまま大きい呼吸器官専門病院に行くことになった。正直病院に向かってる時もピンと来なくて、ネットで検索しても怖いことしか書いてなかったのですぐに見ることはやめた。

 

どこかで余裕はまだあった。そんな重い病気ではないだろう。

昨日だってサウナでたくさん汗をかいて、一昨日はカラオケで熱唱したばかりだ。

私は普通だ。そう思えた。

 

いろんな検査を終えて一時間ぐらい待った頃、先生に呼ばれた。最初は一人で部屋に入ってCTを見せてもらった。

 

「Mさん、これは急いだ方がいいですね」

「えっ」

 

胸の縦隔に大きい腫瘍があって心臓と動脈を圧迫している状態。

早く入院した方が良い、腫瘍も陽性と悪性の可能性があるからもっと大きい病院で検査した方がいいと言われ、また紹介状を書いてもらうことになった。予約は翌日の朝だったので一旦お家に帰ることになった。

 

 

身体中の血の気が引いていくのを感じた。

それと同時にやるしかないと自分を落ち着かせた。

まだ病名もわかっていない。そんなに難しい病気じゃないかもしれない。

病は気から来るって言われてるし、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせた。

帰宅してからなるべく安静にしながら、普通に振る舞うように1日を過ごした。

 

 

翌日妹と母親に連れ添ってもらいながら川口医療センターに行った。

CTからレントゲン、採血検査、病名を調べるための細胞摘出などハードな検査が続いた。結果はすぐに出ることは難しいけど、月曜日に中間報告ができると言われてそのまま帰宅することにした。先生はおそらくリンパ腫の可能性が高いと仰ってた。まるで他人事のように聞こえた。

 

日曜日は妹の就職祝いも兼ねて外食をした。家族でよく行くトンカツ屋さんだ。入院したら美味しいご飯も食べれなくなるかもしれないと、父親が気を使ってくれたのが嬉しかった。トンカツは本当に美味しそうで実際口にしても美味しく感じるのに喉に通らなくて半分ぐらいしか食べれなかった。この時初めて自分の身体が弱ってきてるんだと実感した。